自殺したい人が居たらどうすべきか?
私の考え
自殺に至る理由は数多いです。末期ガンなどで耐え難い苦痛が襲ってくる場合や精神病。経済的理由。学業的理由。
例外的に自殺を認めても良いであろう人(将来が苦痛であることが確定している場合)
これらの人々で、末期ガン患者等、将来苦痛が約束されている場合は、尊厳死ということで楽にしてあげても良いと思います。広義の自殺かもしれませんが、苦痛という将来は決まっているからです。
認めては行けない人
将来が決まってない人は、可能性があります。
将来劇的に人生が良くなるかも知れませんし、私も何人も死の淵からいきててよかった!という人を知っています。
或いは、そのまま死んでしまった方が苦痛も少ないのかもしれません。将来は分かりませんし、現実は冷酷な場合もあります。
この人達が目の前で死にたいと言った時は、その将来どうなるかにおいては分からないので、責任がとれません。下手したら死んだ方がマシかもしれません。
でも、やはりその時は死なないようにするしかありません。何故なら死は終焉だからです。
死への道が長くなるか、死を思うほどの苦痛から解放されるかはその人のこれからの人生次第です。もし、自殺を止めて、将来いきててよかった!という状況になればハッピーですが、問題は別ですね。
死んだほうがマシだったという場合、どうしたらいいのか?です。私はこれでも止めなくてはならないかと思います。自殺をする人を止めなかった場合、その人の人生において自殺を止めてくれる人がいなかったという事実が残ります。そしてそのまま終焉を迎えます。
しかし止めれば、自殺を止めてくれる人がいたという事実が残ります。そして、どんな人生を歩んでも、死という終焉を迎えるでしょう。
あの時、止めてくれる人がいたという現実は多分その人にとって幸運なものだと思います。
止めるのはエゴだと考えてドライに考えた場合。
自分のエゴというのを認めた上で功利主義的に考えても同じ結果です。自殺を止めたら、止めれてよかったということで、その時点では、幸福を得ている前提に立って考えてみます。
自殺をとめ、相手がその後死ななかったことでいい人生を歩んだ場合
自殺を止めた(幸福)。止められた人がいい人生を歩んだ。(幸福)
これは2人分の幸福です。
自殺を止めなかった場合。
自殺をとめなかった(不幸)。止められなかった人は死んだ。(不幸か幸福かは分からない)
これは自分にとって不幸です。
自殺をとめたが、その後相手がさらに悪い人生を送った場合。
自殺をとめた(幸福)。止められたひとはその時死んだ方がいいであろう人生を歩んだ。(不幸)
これはプラスマイナス0です。
自分は止めた方が、最大多数の最大幸福になるため、止めた方がいいでしょう。
身も蓋もないアプローチ
自殺を考えている時点で、正常な判断力を失っているため、正常な判断力を取り戻すまで、絶対に自殺をとめなくてはならない。(末期ガンなどは別)
あとがき
ぬんちのブログに書き込めない上、長文なので、ブログの記事にしました。死んだ人に対しては、ご冥福を祈るしかありません。